「リバータリアニズム入門」のあとがきから-副島隆彦
本書、デイヴィッド・ボウツ著『リバータリアニズム入門』は、
原題もそのまま_Libertarianism: a Primer_, 1997 by David
Boaz, Free Press, New York の全訳本である。
「リバータリアニズム」という日本ではいまだに目新しい言葉は、
アメリカやヨーロッパや英語圏の諸国の知識層の間では、すでにひ
とつの大きな政治思想勢力として認められている。徹底した市場経
済重視の政治思想である。より正確なカタカナ表記を行えば、リ
ヴァテァリアニズムとすべきだろうが、慣例に習って、ラテン・
ローマ字音読のままリバータリアニズムとした。
本書が出版された日をもって、日本リバータリアニズム運動
Nippon Libertarianism Movement(NLM)が開始されたことをこ
こに高らかに宣言する。
この本の翻訳者であり、かつ日本にリバータリアニズム運動を移
植しようとしている私が、この思想が、現在のアメリカの政治・言
論・思想界において持つ独特な位置を、簡潔に記述して日本人読者
人層の注目を集めることは、義務であろう。
そこできわめて簡略に以下にこの「現代アメリカの民衆の保守思
想」の解説を行うことにする。
リバータリアニズムは、まず福祉国家理念と正面から対決する。
現在のような赤字財政危機を抱える過剰な福祉政策をやめることを
強く主張する。そして国家が勝手に人々から各種の税金を徴集する
ことに反対し、官僚政治に反対する。膨大な類の余計な法律の山を
減らし、社会を自然発生的な(自生的な)秩序にまで戻す。個人の
生活に公権力(政府)が要らぬ干渉をしてはならない。政府が存在
を許されるのは、犯罪を取締り、公正なルールの下で法律を執行す
る範囲に限定される。すなわち、リバータリアニズムの標語は、本
書のなかで何度も繰り返されるごとく、As long as each person
respected the rights of others, he would be free to live as
he chose. 「他の人々の権利を侵害しない限り、 人は自分の判断
に基づいて自由に生きることができる」という単純素朴なものであ
る。
このように解説すると、リバータリアニズムは、往年の思想家フ
リードリッヒ・ハイエクとミルトン・フリードマンらシカゴ・バー
ジニア学派の経済学思想の流れにあることがすぐに理解されるだろ
う。まさしくそのとおりである。マネタリスト′o済学者M・フ
リードマンの「小さな政府」の政策思想を受け継いで欧米諸国でさ
らに実践的な一大政治勢力として台頭しているのがリバータリアニ
ズムである。ただし、F・ハイエクもM・フリードマンも、リバー
タリアン Libertarian という 自己規定を受け容れずに、自分たち
を古典的自由主義者を以て任じたが、最終的にはリバータリアニズ
ムの創始者のなかに数えられることを容認した。同時に、ハイエク
とフリードマンだけがリバータリアニズムの創始者ではないことは
本書を読んでいただければわかるだろう。著者のボウツ氏らが、ロ
ック主義(=自然権)リバータリアンであるのに対し、M・フリー
ドマンらは、ベンサム主義(=人定法)リバータリアンである。今
や、数多くのアメリカの根本的な思考をする知識人たちが、かつて
急進左翼だった者たちを含めて幅広い枠組みでのリバータリアニズ
ムに参加している。
彼らの主敵は、一九三〇年代に、恐慌と戦乱のなかから出発し、
福祉国家優先を唱えた「強制的な政府」であったフランクリン・
ルーズベルト民主党政権が敷いたモダン・リベラル派の伝統であ
る。ルーズベルトのニューディール政策が推進した弱者救済の諸々
の革新政策は、ヨーロッパのファシズム体制や、ロシアの共産主義
体制の裏返しにすぎない、と断定して、これと対決して、あらゆる
種類の国家統制経済に反対する立場として徐々に形成されてきた。
リバータリアニズムは、徹底的に、個人の自由、制限された政府、
自由経済重視である。つきつめれば、正義や個人の諸権利までも市
場経済の法則に従って生成する、とまで考える。この点で、大きく
はアメリカ共和党系の保守勢力のなかにありながら、保守派本流の
倫理・道徳や秩序を重視する人々と相容れないで対立しあっている。
本書を読むことによって、日本人の読書知識人層は、初めてイギ
リス一七世紀の大思想家ジョン・ロック著『市民政府論・第二篇』
(一六九〇年)の内容がわかるのではないか。ジョン・ロックの近
代思想が、ちょうど三〇〇年かかってようやく日本人にも理解でき
るようになった、ということである。たとえば、ロックが次のよう
に書いている箇所は、本書を読んだ後に氷解するのである。
「自然状態においては、自然法の執行は各人の手に託されているの
であって、このようにして、この自然法に違反する者を、法の侵害
を防止する程度に処罰する権利を、各人がもつのである」(鵜飼信
成訳、岩波文庫、一三ページ)。
この一分をわかりやすく解説して、日本人知識層総体が、一切の
知ったかぶりを排して、完全に理解し、欧米知識人層と同一の水準
に立てるようになるまで、あと何十年かかるだろうか。私は、自力
で何とか、ようやく理解できるようになった。たとえば、ここで
「自然法」なるものが、どういうものであり、どのような思想の伝
統のなかから生まれてきたものであるか、そして「自然権」とも対
立することに、私なりの二十年の思考苦闘の末にわかるようになっ
た。
この本は入門書ではあるが、非常によく現在のアメリカの政治諸
問題の所在を網羅的におさえている。したがって本書一冊で、最新
のアメリカの政治社会情勢を理解する本としても最適であろう。他
の思想書と違ってこの本は、高級そうな雰囲気をただよわせて、や
たらと難解に議論したがる、「中世五山の坊主」の現代版である一
部の知識坊ちゃんたちが盗み読みして御用達にできる本ではない。
広く、読書生活を持つ日本の有能なビジネスマンたちに読んでもら
いたい本である。なお、紙数の関係上、リバータリアニズムをめぐ
るアメリカの政治思想の全状況についての詳しい解説は、拙著『現
代アメリカ政治思想の大研究』(筑摩書房)及び『日本の危機の本
質』(講談社)を参照されたい。
リバータリアンたちは、本書を読めばわかるとおり、必ずしもリ
バータリアンと自称したかったわけではない。ところが本来の本物
のリベラリズム(自由主義)はもともと自分たちの旗であるのに、
それを、現代リベラル派に、僭称され乗っ取られて居座られてし
まったので、仕方なくリバータリアンを名乗ったのである。リベラ
ル Liberal とは少し違 う、リバーティーン Libertine という言
葉を仕方なく借用してこの三〇年の間にリバータリアニズムを作っ
た。このリバーティーンというのは、「総領の甚六」というか、
foppish spendthrift individual の意味で、遊び呆けている貴族
のバカ息子、という意味である。こんな意に反する語を語源に持つ
言葉を自分たちにあてはめるしかなかった一抹のもの悲しさが現在
のアメリカの一大思想勢力に今なおつきまとう。
私は、この本の翻訳権をもらいに直接、本人にかけ合いにワシン
トンまで行って、そして快諾された。原書が出版された九七年と同
年中に翻訳出版すべきだったのに、私の怠慢で遅れてしまったこと
でボウツ氏に済まないことをしたと思っている。ボウツ氏とは二〇
回近く意見の交換をして不明な点を尋ね、かつ、弁解を兼ねて日本
のゾッとするような、世界から遅れた貧しい知識状況の説明もし
た。ワシントンには、日本の外務省の金で、あちこちの研究所や大
学に研究員の肩書きで押し込んでもらった日本人が大勢ウロウロい
る。彼らはどうせ政財界人の子息たちである。坊ちゃん、お嬢様の
ような人々であるから、政治や思想というものが本来持つ苛烈な人
生経験をしていない。だからこの酋長の子どもたちには、どうせ、
世界水準の政治思想の全体像を日本国民に
伝えるという任務は背負えないのである。泥水をすすりながら戦場
や収容所を逃げ回って、それでも生き抜いた、というような経験の
なかからしか本物の学問や思想もまた生まれないのである。
私は、ボウツ氏と話していて、「私はポピュリストです」とつい
口をすべらしてしまった。一瞬、怪訝そうな顔をされたがあとの祭
だ。ボウツ氏は、学生時代からの正統派のリバータリアン運動の筋
金入りの人である。『ニューガード』_New Guard_誌という、七〇
年代の有名な若者 向けの保守派政治雑誌の編集長をしていた頃
に、より過激なポピュリスト派との内部分裂劇を経験している。そ
の話をあとで、他の人から聞いて、「しまった」と思ったが、もう
遅かった。だからボウツ氏の本の日本への翻訳紹介者として、私は
少しふさわしくないのかもしれない。しかし、私以外に誰もこの重
要な任務を自ら引き受ける人間が日本では出て来ないのだから仕方
がない。私が、日本の国内言論人たちを腹の底から見下したいと思
うのは、そういうときだ。
したがって私のようなすでに、日本人としての政治思想遍歴を持
ち、あちこちでつまずいて生きてきた人間が、今さら、純系の日本
リバータリアンを名乗るのは、さすがに気がひける。他から決めつ
けられるのは構わないのだが。そこで、まだ思想的に色のついてい
ない若い二〇代の人々のなかから、純粋にリバータリアニズムを研
究し、その原理を日本に根づかせようという人々がこれから輩出す
ることを、私は心待ちにしている。
私が他用で忙し過ぎたので、この翻訳の下訳を、植田信君と鈴木
美智子さんと古村治彦君に手分けしてやってもらった。そのうえ
で、私が注意深く全文の完成訳を決定した。この三人はいずれも私
が抱える強力な助手たちである。とりわけ若い古村治彦君には、日
本で初めての本格的なリバータリアニズム研究者として成長し、本
拠地アメリカ国内の各派との連絡網を着実に築いてくれることを強
く希望する。
原著作第十章の「現在の諸問題」 Contemporary Issues は、紙
幅の都合で割愛せざるを得なかった。機会を見つけていずれかの言
論誌に載せたいと思う。
一九九七年九月
副島隆彦
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デイヴィッド・ボウツ(副島隆彦訳)『リバータリアニズム入門
−現代アメリカの〈民衆の保守思想〉』、洋泉社、1998年11月、
pp.394-398.