先哲の言葉
「平等を求める情熱が、自由への希望を虚しいものとしてしまったために、世界に対して与えられた人類史上でも最善の機会が放棄されてしまった。」(アクトン卿)
「全ての権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する。」(アクトン卿)
「社会主義は多分、機能しないだろう。なぜなら私有財産と価格システムがなくては、何を、いかに生産したらよいのか、それを決める手段が無いからである。」 (ルードヴィッヒ フォン ミーゼス)
「資本主義は、われわれが理性的洞察力と別に様々な道徳を伝統によって授けられて持っていることを前提にしています。それらは、進化によってテストされてきたものですが、われわれの知性によって設計されたものではありません。我々は、その様々な帰結を理解したから所有権を発明したのではありません。家族制度も同じです。それらは、偶然の伝統、本質的に宗教的な伝統なのです。」(ハイエク)
「私が、ロビンソン夫人とカーンが通貨政策について研究していたことに話を向けると、彼(=ケインズ)は噴き出してこう言ったのです。「あの二人はただのバカだよ。1930年代には私の着想はひどく重要だったさ。インフレと闘うという問題は無かったからね。しかしハイエク、任せておいてくれよ。私の着想はすでに時代遅れになった。私は世論をこんな風に[指をならして]変えてやるよ。」 その6週間後に彼は亡くなりました。生きていればケインズはそれをやったかもしれない、と私は思います。」 (ハイエク)
「人間の堕落を防止するには、人々を愚劣にする主権というものを、誰にも与えないことである。」(トックヴィル)
「主権がどこにあるのかと問われるなら、どこにもないというのがその答えである。立憲政治は制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はありえない。無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、あらゆる法がある立法機関の計画的な決定から生まれる、という誤った信念に由来する迷信である。」 (ハイエク)
「計画主義者の言う「計画」への反対と、凝り固まった「自由放任」の主張とを混同してはならない。
自由主義者の主張は、諸個人の活動を調和的に働かせる手段として競争というものがもつ諸力を
最大限に活用すべきだということであって、既存のものをただそのまま放っておけばいいという、ということではない。自由主義の主張は、どんな分野であれ、有効な競争が作り出されることが可能であるなら、それはどんなやり方にもまして、諸個人の活動をうまく発展させていくのだという、確信に基づいている。この競争が有利に働くためには、充分に考え抜かれた法的な枠組みを必要とすること、そしてこの点に鑑みれば、現在の、あるいは過去の法的ルールは重大な欠陥を持っているということを、自由主義者は否定しないし、むしろ進んでそう主張する。」(ハイエク)
「富の生産に対する統制は、人間生活それ自体にたいする統制である。」(ヒレア ブロック)
おのれの無知を認めることが、叡知のはじまりである、というソクラテスの格言は、社会についてのわれわれの理解にとって深遠な意義をもっている。そのための第一の要件は、目的達成に役立つ多くの事柄についての人間の避けがたい無力に気づくことである。(ハイエク)
分配的正義の原理は、ひとたび導入されるならば、社会全体がそれに従って組織されるときはじめて満たされることになるであろう。これは、あらゆる基本的な点において自由社会がそれに従って組織されるとき初めて満たされることになるであろう。これは、あらゆる基本的な点において自由社会とは反対の社会ーすなわち個人が何をなすべきか、またいかにそれをなすべきか、を権威者が決定する社会をつくりだすであろう。(ハイエク)
教条的民主主義者にとって決定的な概念は人民主権の概念である。かれらにとってこのことは、多数者支配が無制限であり、かつ制限しえないことを意味する。本来、民主主義の理想はすべての恣意的権力を防止することを意図したものであるのに、こうして新しい恣意的権力を正当化することになる。(ハイエク)
トックヴィルの大著「アメリカの民主政治」の議論の主旨はDemocracyが多数者を教育する唯一の効果的な方法であるということである。このことは彼の時代と同じく現代でも真実である。(ハイエク)
ほんのしばらくの安全を手に入れるために、本質的で不可欠な自由を放棄してしまう人々は、自由も安全も持つ資格が無い。(ベンジャミン フランクリン)
私有財産は自由の最重要の基礎である。(ハイエク)
今日の世代が忘れ去ってしまっていることは、私有財産制は、財産を所有する者だけでなく、それを持たぬ者にとっても、最も重要な自由の保障であるということである。(ハイエク)
あなた方は、依然として旧い論争について語っていますー国家は活動すべきかまったく活動すべきでないかー。
私の本(隷属への道)で払った努力の全体は、この古いばかげているとともに曖昧な観念を新しい区別と取り替えるためのものでした。
私は、ある種の国家活動が極めて危険だと気づいたのです。そのため私の努力の全体は、正当な活動を不当な活動とを区別することに向けられました。私は次のように言うことでこの区別を行おうと試みました。すなわち、政府が競争のために計画する場合や、競争がその仕事をすることができない場所に踏み込む限りは問題ないが、他の全ての形態の政府活動は大いに危険である、というものです。(ハイエク)