〜リバータリアニズムにおける私的所有権(財産権)〜
「財産権は人権である」。自分の財産とは正確には何を意味するのか?
ヤン・ナーバソンの定義を引用してみよう。「「XはAの財産である」。これが
意味することは、Aは財産Xの処分を決定する権利を持っているということである。」
注意していただきたいのだが、財産権とは、財産「について」の権利でもなければ
また、しばしば私有財産権の反対者たちが示唆するような、財産「に属する」権利
でもない。そうではなくて、財産権とは財産「への」人権であり、人が正当に獲得
した財産を使用し収益し処分できる個人の権利である。財産権は人権なのである。
実際、上述したように、財産権の全てを私たちの肉体は私たち自身が所有するという
基本的な自己所有権に起因する人権とみなすことができよう。
リバータリアニズムのマレーロスバードは「権力と市場」の中でこう述べた。
「最も深い意味において、存在するのは諸権利ではなく、財産権である。」
幾つかの意味においてこのことは正しい。まず第一に、個人はそれぞれ、自然の事実と
して、自分自身の所有者であり、自分自身の統治者である。純粋な自由市場社会において
守られている人間の「人」権とは、基本的に、どの人もその人の存在そのものに
「財産権」があるということであり、そして「この人権としての」財産権から人が
生み出す物質的生産物への権利が発生するのである。
第2に、どうもはっきりしない人権は、「財産権」に要約することができる。
例えば、言論の自由という「人権」である。言論の自由とは、言いたいことがあれば
何でも言える、といった全ての人が持つ権利であると考えられている。しかし、
通常は無視されている一つの疑問がある。すなわち、どこで?
どこで人は、この「言論の自由」という権利を持つのか?
不法侵入して得た財産に対しては権利をもてないのは確かである。
人が権利を持てるのは、その人自身の財産であるか、贈り物とか、家屋などの
賃貸借契約によって、同意を受けた人の財産権のみである。つまり、それだけで
切り離された観念的な「言論の自由の権利」などというものは存在しない。
そこにあるのは、その人の財産権としてなのである。つまり、その人自身が意欲して
行為したり、あるいは別の財産の所有者と自発的に合意する権利である。
「リバータリアニズム入門」By David Boazより p120〜121